ファジイさも大切
先に、100%を治せるのは神さまのみ、と述べました。
では治せなくてもよい、ということではさらさらなく、「観察」と「操法」のみですべてを治そうというのは生命に臨み、倣岸不遜な態度ではないだろうか、ということです。
もしかしたら、どのような治療でも治らない人が、誰かのちょっとした一言で救われ、治癒へのスイッチが入ることもあるかもしれません。
ずっと行きたかった場所に行って遊んだら心身ともに晴れ晴れして、からだに変化が起こるかもしれません。
あるいは逆に、治してしまったら無茶・無謀なことをして命を削るのであれば、治さない方がよいことだってあるかもしれません。
たとえば美食を追及する人があれば、長生きをさせることは難しいでしょう。
しかしその人の生を全うすることを主眼におけば、息をしている時間が長いか短いかは関係ない。
ものごとの最終的な局面において、治すことを至上主義とすることは、もしかしたら意味のないこととなってしまうことさえ、あるのではないだろうか。
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